風邪のひきはじめの甘ったれ

春に気持ちが滅入るのは、車を買ったのにどこにも行けない気分に似ています。

どこに行くにしたって、知っている匂いが追いかけてきて、過去の中にしかきらきらしたものはないじゃないかよと腹立たしい。

例えば5月、網戸越しに嗅いだ隣のお家のごはんの匂いとか、古本の綴じ目の甘くて饐えた匂いだとか、レンタカーのよそよそしい空気だとか。二つ並んでいるからってかわいいわけじゃない。カップルに見える人間の人の、本当の何割がカップルなんでしょうか?優しくし合うことを許されないので、あなたに優しくできません。敬意と軽蔑と強烈な憧れとがないまぜになる関係ばかりを抱え込みすぎて、おあー!脳ミソショートすんじゃねえか?期待している事柄の反対を口にして、相手を辟易させてしまうの、本当に悪癖です。安心した先から不安にならないとだめで、好ましいから少しずつ齟齬が生まれてしまって、ああああ!絶対に迷子になれない迷路の中で何年も駄々を捏ねている!

 

昔のことばかりがいつでも好ましくて、しくしくした気分になりがちです。

私はあまりいい人ではないのだなと気が付いていて、そんなことに気が付いてばかりで、鏡になるのは他人で、映るのは赤い金魚みたいにひらひらした欲望だけです。

キャラに徹することですよと、いつかのだれかの言葉がリフレインしますが、まぁこんなところはオフビートなのでいいやとつらつら書いてしまうわけです。いつもは弱いところが強くなって、強いところが弱くなります。言葉も文字も脳ミソの中も真似してしまって、でもそんなのは3歳児のすることで。思い出して傷つくのも、思い出してキレるのも、やめたいって思うんですが、どうにもうまくいかない。

 

人と一緒に生活している時の自分が一番いいです。誰かと生活しているときはずっといい自分でいられるような気がします。無遠慮に傷つけたり、自分ばっかりが出しゃばったり、言われたくないよなあってモノを平気で言ってしまったり、そんな初歩的な「やっちゃだめ」をあたかも狙いすましたように踏んでしまうけど、そうやってしか人との関係を学べません。傷ついて分かるし、傷つけて分かることばっかりで、そういうのがリアルだなって思います。

嫌いだなと思うところをこれでもかと知ってもなお、知り尽くせないのが人ですし、そういうところも含めて好ましければ愛と呼んで差支えないと思うんですが、まぁそんなのは計れません。